ひっそりと群生

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【SeaBed】感想

【百合全年齢】



2008年07月19日発売
paleontology』様 ※リンク先公式HP
SeaBed】(PC) ※リンク先DLsite.com
以下感想です。








深い深い海の底のような場所に、何もかも全部閉じ込めて。



『過ぎ行く時はとてつもなく深い海の底に沈み続けている。
 ときに浮かぶあの日の景色と匂いは揺れて泡のように消える。

 心療クリニックの精神科医楢崎は、人がものを忘れる仕組みについて研究していた。
 人はなぜ忘れるのか、大事なことを忘れない方法はあるのか。
 彼女はある患者の心の奥深くを探るうちに、深い深い海の底へと辿り着く。

 都内に事務所を構えるデザイナー佐知子は、取り憑かれたようにものを作り続ける。
 同僚の心配も他所に、仕事を続けた彼女は心を病み過去の恋人の幻が見えるようになる。
 彼女は恋人の跡を追って暗く長いトンネルを見つける。

 療養所で暮らしている貴呼は、幼稚園からずっと一緒だった同性の恋人とどのように別れたのか思い出せない。
 彼女は恋人に似た女性と出会い、徐々に思い出を取り戻していく。
 記憶の扉を開き続けていく彼女は、最後に冷たく静かな部屋へと足を踏み入れる。

 それぞれの目的の元、過去を求めさまよう三人が行きつく場所は何処か。
 三つの物語は淡々とした日々の中で静かに進行し、やがて同じ場所へと還っていく。』
(公式より引用)



選択肢無しの一本道。


雰囲気と考察、解釈系なのでキッチリした展開、キッチリした終わりが好きな方は難しいかもしれません。
ジャンルとしては百合、ミステリーとありますが、百合ゲーとして「百合になる過程」が好きな方からしたら最初から最後までナチュラルに百合してるのでコレジャナイになり。
ミステリーとしてみたら「謎」という部分では正しいですが、「謎を解く」や「犯人は誰?」みたいなのを求めるとコレジャナイとなるかと思います。


フワッと始まり幻想か現実か曖昧な所を行き来してフワッと終わるそんな感じでした。
途中で大きく盛り上がるなどは無く、ずっと同じ流れが続くので雰囲気が合わないと多分最初から最後まで合わないかと思われます。
ただ死生観というか…「記憶」「認識してる世界」「精神世界」そういうのが好きな上でこの雰囲気が合えば確実に引き込まれるかと。


このずっと同じテンションというのも盛り上がりで見れば淡々としていますが、
「二人で居るのが当たり前でそんな当たり前の日々が一番大切だった」
みたいなそんな「普通」である事の大切さを感じて凹凸のない日常が続くのが逆に「あぁ…切ない」と感じたりもしました。


ゲーム的には雰囲気を楽しむ系なのでサクサクとは進まずどうしてもゆっくりになったので時間かかりました。
ですが、普通はサクサク進まないとイラッとしますがSEA BEDに関しては一応プレイヤーとしては「いつ終わるんだ…」という気持ちは勿論ありましたが、気持ちの奥底で進まなくても良いというか…「この終わり」を見たくない…そんな気持ちになってたので楽しんでいたのだと思います。


起承転結しっかりガッツリで謎が全部解ける系や無駄な展開省いてサクサク系な人には合わないかもしれません。
ですが、この雰囲気が合い精神を揺さぶられる系の作品好きな人は合うかと思われます。


まだ色々自分の中で上手に纏まっていませんが、ずっと思い出の記憶の海の中で紡がれる貴呼と佐知子の二人の愛の物語だったと思いました。



『システム、演出』
ツールは吉里吉里
選択肢も無いので読む分には問題無いですがスキップがありませんでした。
セーブ箇所も5箇所しかなく、自己解釈系なので繰り返しプレイをする際に少し辛かったです。
あと起動してタイトルでの演出を飛ばせないので若干もたつきました。
変わった演出はないですが一枚絵などが背景の写真と本当に合わさってました。
一枚絵の切り替えや立ち絵のちょっとした表情の変化など好みでした。
Tipsがあり、別の所の物語がいくつかあり本編の考察など補完されます。
上記のスキップが無い分チャプターとしてアイキャッチが入る箇所の区切りに移動出来ます。
ただ、チャプターは細かく区分されてますが、サブタイトルがあってもどのシーンかイマイチ分からない箇所がありました。


『音楽』
BGMは素材曲…かな?
突飛つして目立つ曲などは無いですが作品にはとても合っていました。
水を注ぐ音や、ちょっとした雑音などの使い方が良かったです。
BGMもですが、BGMと場面に合うSEの使い方が上手だと感じました。
生活音などがリアルでした。


『絵』
一枚絵は枚数差分含め全79枚。
鑑賞モード有り。
写真と合わさっていたと思います。
旅行中のイラストなど、彼女達が本当にその場で楽しんでいる感じが凄く出ていました。
あと公式にあるいくつかのイラストが終了後にオマケとして追加されます。
背景は写真、CG、イラストが入り乱れてました。
場面場面では合いますが統一感が若干気になりました。
立ち絵はとにかくポーズと洋服の枚数が多かった印象。
表情の変化などとても細やかだと思います。
とにかく絵柄が柔らかく、淡い絵柄がとても綺麗で、要所要所で幻想的な雰囲気を出していました。


『物語』
スッと流し読みが出来るタイプではなくしっかりと読まないと状況を把握できないタイプなので時間はかかります。
ですが、一文一文繊細でとても細やかな文章でした。
構成はずっと平坦な日々。
構成としてみると平坦な中で起承転結がしっかりはしていないので引っかかる部分があります。
あと「謎がしっかり解決」ではなく淡く解釈を残す形で終わるので、
「あの時のあれは何だったんだろう…」
となる人も居るかと思われます。
しかし、この雰囲気に合いさえすれば確実に引き込まれていきます。
ただし雰囲気が合わないと最初から最後までこの流れなので退屈になると思います。
大きく笑う事は無かったですが、彼女達のやり取りに時々クスリとさせられました。
彼女達が合いさえすればとても微笑ましいです。
あと、独自性があり、夢、現実、幻想、妄想、記憶…そういうのが入り乱れ本当に海をたゆたうような雰囲気でした。
キャラクターは貴呼と佐知子の二人の関係が合いさえすれば。
同性の恋人の関係を当たり前に謳歌する二人。
二十年以上隣りにいるのが当たり前で自然で…そんな日々が普通で、二人で居るのが人生そのものだと言っても過言ではない二人の絶対に他が入りこめないとさえ思える絶対の関係を感じました。


『好みのポイント』
雰囲気や空気が合うか合わないかで両極端に分かれる作品だと思います。
基本的に私には合わない方の作風でしたが、それでも私はこの物語を好きだと感じました。
大事なものの喪失と当たり前の日常の大切さ、その部分や死生観としての見方、認識の仕方が抉る物があり、どうしても揺さぶられるものがありました。





以下ネタバレ含めての感想です





深い深いそんな海の底のような誰にも見つからない場所に、死を認めたくない気持ちも相手を愛してる気持ちも含めて自分だけの世界を作ってしまいたいと思った。


この物語には確実な正解は絶対に無いと思います。
十人十色のプレイした人それぞれで、ミステリーとして見た人からすれば「似通った館の謎が解けると思ったのに何も解決せず白ける話」となるかもしれません。
百合として見た人からすれば「もうすでに百合ップルが相手の死を受け入れられずに現実逃避している話」になるかもしれません。
起承転結をしっかりキッチリ求める人からすれば「どこまでも凹凸の無いモヤモヤした話」になるかもしれません。
物語として見た際には上記すべてに「その通り」だと思います。
何一つキッチリ貴呼の世界が解決せずに終わったのですから。


ただどうしても死生観の部分で「ただのモヤモヤした話」と切り捨てたくないと思いました。


二十三年…生まれて物心ついた時には既に隣りに居た。
自分よりも先に死にそうにないと思ってた番であるのが当たり前の人が日に日に弱りある日突然居なくなってしまう。


一番大事な人が居なくなってしまった不安定な世界で相手の死の先の世界を一番愛した人物が形創った。
佐知子が創った貴呼の死後の世界とその架け橋の楢崎。


死んだ人間の後を考えるなんて生きてる人間の傲慢かもしれないけれども、貴呼は死んでも尚、
「佐知子になら自分の死後の世界を創造されても何一つ構いはしない」
と貴呼自身が納得するのだろうなと言える程の愛が二人の間にありました。
「佐知子が私の死後の世界を創ったのなら何一つ問題無いわ、佐知子の世界で生きられるのなら幸せ。むしろ勝手に傲慢と決めつける方が傲慢よ」
と貴呼さんが笑っている姿が見えました。
その姿が見えた時に、
「死んだ人間がきっと生きてる内でも納得するほどの愛がそこあったのなら傲慢でも何でもなく、そこを決めつける周りの方が傲慢だ」
とそんな風に二人の大きな愛を知った時に、
「モヤモヤでもキッチリしていないと周りが何と言おうともこの物語はこれで正しい」
とそう思ってしまいました。


「死んだ人間は思い出の中でのみ生き続ける」
という言葉がありますが、死んだ貴呼さんの魂を佐知子さんが心の奥底の誰にも見えない見つからない海底に掬い取り、自分の世界の中に起き続けた。
そんな物語に見えました。



『色々と思った事』


コレが正解などは絶対に無く、
「二人には二人の見えている世界があり、更に十人十色の解釈が有る」
が一番正しいとは思いますが自分なりの拙い思ったことを。


物語は大きく分けて3つの視点で語られます。


サチコ編→旅館「現実」編。
タカコ編→療養所「サチコの心の深層(死後一歩手前の世界)」編。
ナラサキ編→現実と精神の境界。


仕事のある世界では貴呼の葬式が行われるので犬飼、文が現実側の人間。
最後に文との交流の有る七重も現実側の人間と考えられます。


療養所は楢崎が向かう際に、


「彼女が生きるために少しずつ死んでいく世界」

「佐知子は仕事について語るとき、自身の創作は貴呼のそれに劣ると言った。
 しかし、私はそうは思わなかった。
 貴呼の世界がどれほどのものかは分からないが、この出来はどうだろうか。
 ここはどこまでも拡大可能な世界、そしてあらゆる価値観を公平に内包出来る世界だった。
 この世界なら私は安心してこの先の道を行くことが出来る。」

というような言葉からサチコの心の深層(貴呼の死後一歩手前の世界)であるかと。
その中で楢崎ですが、彼女はラストで分かる様に佐知子と貴呼が子供の頃に人形遊びをしていた人形、佐知子と貴呼が作り出した架空の友人であり、
「何でも理由を知りたがる医者」
という設定の二人の共通の友人。
この「理由を知る」という設定から楢崎は恐らく佐知子の、
「真実を受け入れなくてはいけない、貴呼の死を受け入れなくてはいけない」
と心のどこかで本当は現実を理解している部分なのかと。


序章にて二人の幸福な旅路が描かれた後、不穏な葬儀のCGを挟み、「失踪した」貴呼の声が聞こえるという佐知子
そんな佐知子は医者の楢崎に相談します。
そして職場の犬飼と文との会話から貴呼が「失踪」ではなく「死亡」した事を知るのが第一章です。


ですがおそらく楢崎が現実に居る人物として見えていた所から、「死亡」と聞かされ、言葉では理解しつつも佐知子は貴呼の死を納得できず、心の深層に貴呼の生きている世界を創り上げてしまう。
それがタカコ編の療養所なのかと。


療養所に居る人物の繭子、早苗、梢。
彼女達はそれぞれが佐知子に似通っています。
繭子は貴呼に直接的にに似ていると言われており、早苗は眼鏡を外すシーンで佐知子の面影があるような描写があります。
そして梢は楢崎に言われますが幼いころの佐知子にそっくりという描写があります。
「療養所=佐知子の深層世界」
と思う部分には楢崎の言葉もありますが、佐知子に似た3人が居るからです。
佐知子は心の奥底で貴呼は死んでいるので自分は側に居れなくても貴呼の側には自分の様な女性が居て欲しい。
そんな気持ちからあの療養所に居たのが佐知子に似ているあの3人で、
母(女)としての佐知子→繭子
友人としての佐知子→早苗
子供の頃としての佐知子→梢
そんな役割を担っていたのかと。
実際作中の描写で夢の中で繭子を抱くというような描写があるので女性としての佐知子に一番近かったのは繭子だとは思います。
とても自意識過剰にも見えますが作中での二人の愛を見ると佐知子の独りよがりでは決して無く、貴呼も佐知子の様な女性に囲まれる事を望んでいた、喜んでいるようにも見えます。


その後交互にサチコ編&ナラサキ編とタカコ編を繰り返し、様々な二人の旅の過去や子供時代を思い返しながら、二人がいかに気付いた頃から既に側に居て離れられないくらいの半身同士で、他が入り込む隙間が無いがくらいに大事に思い合っていたのかがわかります。


様々な思い出や精神世界が交錯し最終的に貴呼はどうして佐知子と別れたのかを思い出します。
つまりタカコ視点とありますが貴呼は佐知子が今まで見ていた二十三年分の貴呼、佐知子の作り出した貴呼で、この「貴呼が佐知子との別れを思い出す=佐知子が貴呼の死を完全に受け入れた瞬間」だったのかなと。
「貴呼の知覚=佐知子の完全な現実への帰還」
になると。


しかし同時に佐知子の中の貴呼は貴呼本人だとも思います。
療養所の貴呼は貴呼そのものの魂が佐知子の世界に引き込まれて、
「佐知子との死別→自分の死を忘れていた存在」
になる。
貴呼ならきっと佐知子がそんな風に死を引き止めても納得するでしょう。
死後、二人の願い事が重なった結果が佐知子の世界の貴呼なのかもしれないとそう思っています。
佐知子の記憶の貴呼。
貴呼自身の魂。
そのどちらも正解であると解釈しています。


そして佐知子が貴呼の死を完全に理解した時、貴呼が自分の死を思い出した時、佐知子は現実を受け入れ宿屋からの帰路に着きます。
貴呼は佐知子が現実を受け入れた事によって船出(おそらく完全な死後の世界)へと達立つ。


この物語は簡潔に言ってしまえば、
愛する人の死を受け止める物語」
なのかもしれないと思っています。


『楢崎の存在』

上記で書いた通り、
「貴呼と佐知子の子供時代に生み出した医者の設定の女性」
であると思います。
貴呼の死により子供の頃に作り上げた架空のもう一人の友人。
「誰かの理不尽な言葉や不可解な行動なんかを見ると、その理由が知りたくなる」
という設定の元、佐知子の不可解な行動の原因を探っていく存在。
つまり佐知子自身の心の中のカウンセラー的な立ち位置かと。


もしくは途中のチャプター『哲学者』に、


「生きてるってことはここにあるただの電気的な信号なんだ。
 要するに、意識というものは電気の振幅でしかない。
 死んで機能が停止すると、それも消える。
 だけど、唱えた思想は残る。
 一部ではあるが私と同じ振幅が、ほかの人に共感されコピーされて残る」
 
「生きている人は複雑な振幅を紡ぐための糸で、ひとつの絨毯で全部繋がっているのかもしれない」


とあるように楢崎も実は昔に存在していた人間作中で何度か登場する霊的な存在なのかと。
(実はコッチの方の解釈があった方が屋敷的には納得が)


佐知子の中の貴呼が佐知子の見てきた貴呼と貴呼の魂そのもの両方の意味があるように、
「誰かの理不尽な言葉や不可解な行動なんかを見ると、その理由が知りたくなる」
そんな思想の医者だった彼女が共感されコピーされて残った、もしくは霊的な彼女が、
「不可解な行動」
で興味を示した先が佐知子で、佐知子の想像するぬいぐるみの友人として繋がった姿ではないかと推測。


『梢の存在』

宿屋と療養所両方に登場する少女。
「子供の頃の佐知子に似ている」
「建築などに興味がある」
部分から恐らくは「幼い頃の佐知子」ではないかと。


七重の最後の反応や、
「うちは相変わらずの閑古鳥だし、小母さんもいるから大丈夫よ」
の台詞などから現実では存在していないのだろうと思われます。
梢と話すシーンもありますが、犬飼と貴呼の会話のように佐知子の中だけで行われていた会話かと。
小母さんとは会話がありますが楢崎との霊的な話で、
「霊能力者の中には、霊が見えたり人のオーラが見えたりする人がいる。
 病理的にはこれも立派な幻覚と言えるが、この本人たちは別に治す必要はないと考えている。
 これは生活に支障が殆どないからだ。」
とあるのと楢崎との直接的な会話や小母さん自身の霊的な話から小母さんは霊的な物が見える人。


最後の子供の佐知子は貴呼との幼い日の強過ぎる思い出で、それを残したままだとをまた記憶が後退するので思い出そのものを療養所に連れて帰っていると推測。


『屋敷の存在』

サチコ編の宿屋。
タカコ編の療養所。
チャプターの楢崎診療所。
この3つは同じ構図で成り立っています。
療養所と診療所は佐知子の深層世界、宿屋は現実世界なのだろうと解釈。
しかし深層世界は宿屋に行く前に構築されています。
何故屋敷が同じ形だったのか。


この点で楢崎が元実在した存在と考えました。
作中の小母さんとの会話から、
「診療所→宿屋」
であった事が明かされます。
ここで楢崎は霊的な存在と考えると、


現実では生前の楢崎が務めていたのが診療所で楢崎が死亡か去った後に宿屋になる

魂の楢崎自身の興味と佐知子の妄想の友人とが合わさり楢崎として佐知子の中に現れる

貴呼の死後、佐知子の真相世界に療養所として屋敷が構築される
この際、屋敷の内装は生前の楢崎の診療所と同じ形になる

佐知子、過去の楢崎の診療所で現在宿屋の屋敷に向かう

佐知子の死の間際に「楢崎診療所」の医師として看取る


楢崎が架空の友人であれば何故屋敷が同じ形だったのかが分からず、楢崎が実在した人間の魂であれば佐知子ともう少し繋がりが必要で、
「佐知子が子供の頃に出会った事がある」
などの描写も無いのでココがいまいち判断しづらいです。


『チャプターの楢崎診療所』

チャプターの「東に日が沈む海」にて、


「佐知子もいつかここに来る。
 私はそのときの為に準備をしなければならない。
 それは佐知子が私にしてくれたことだ。」

とあるように今度はサチコの死の間際で
佐知子の間際の時を楢崎が見守っている?


『別で不思議に思ったのを箇条書きで』


・何故貴呼だけ苗字が無いのか
・貴呼は子供の頃に既に死亡しており最初から非実在の人間説
・生きるものの魂は全て繋がっていて、例の屋敷は魂の生死の中間地点的な所?
・佐知子の側の方が死んでいて貴呼側の方が現実説(コッチは流石に突拍子もなさすぎるか…)



色々考えても完全な答えは見つけられていません。
そもそも佐知子と貴呼の二人が納得していればこの物語に正しい答えなんてないのかもしれません。


そんな風に解釈出来そうな謎を残しつつ、海の中の泡の様にフワッとしたまま終わるこの曖昧さが魅力的で、その上で様々な解釈が出来るのがこの作品だと思うのでまだまだ考えていきたいです。
「例え亡くなっても、お互い了承し二人の愛がそこにあれば、相手を自分だけの奥底で大事に大事に存在させ続ける事が出来る」
「自分が死んだ時、自分の死を勝手に他の世界で美化されても相手が望むのなら別にいいと思える程の相手が居る」
そんな本当に一番大事な人が居なくなった時に死を受け入れる過程。
愛や死生観などがとても魅力的で、
「生きてる年数とほぼ同じくらい寄り添い、自分より先に死にそうにないと思っていたとても大事な人の死」
その現実に狂いそうになり、
「大事な人はただ自分の見えない場所に行った(失踪した)だけ」
と逃避しながらも確実に現実の時間は流れ、ふとした時にそれは逃避で本当はもう居ないことに気付く。
なんだかんだ人は強く、逃避や狂った部分を修正し、ゆっくりと確実に現実を受け入れていってしまう。
そんな姿にとても思う所がありました。