ひっそりと群生

ひっそりと持ってるCDの情報やゲームの感想上げたり。購入物の記録など。気ままに。飽きっぽいので途中で止まったらご愛嬌。

【芙蓉の浄土に安き給う】感想

【乙女18禁】



2021年05月04日発売
サキュレント』様 ※リンク先公式HP(18禁)
芙蓉の浄土に安き給う】(PC)(18禁) ※リンク先DLsite.com(18禁)
以下感想です。








女神でも救えず。
女神を堕とした。



『「あたし、どうしようもないことって好きよ」

 フレキシブルに成長するとある国の都市。
 流れ者の女――ミータオは、幼馴染のリョウと共に住処としていた貧民窟を政策で取り壊され、
 今ではストリップ劇場の踊り子をしながらアパートで二人暮らしをしている。
 かつて悪い薬に侵されていたリョウは、ミータオの介護をうけて薬断ちの最中だ。
 そんなある日、ステージに一目惚れしたという富豪の男・ウツブシがミータオをつけ回すようになる。

 ウツブシは言う。
 「君は本当は、こんなところにいるべき者ではないのではないか」
 リョウとミータオの関係は少しずつ壊れていく。』
(公式より引用)



プレイ時間は約1時間45分くらい。
選択肢有り、ED2つ。


サキュレント様の作品は5作目プレイになります。
今までライターの山野さんの作品は「淫夢みるさなぎ」や「ニルハナ」など幻想世界系はありましたが、おそらく異国物は初。
その、情緒豊かな文章力で描かれる異国感と共に綴られるはストリップやクスリなどのアングラ世界。
日本とはまた違った、日本では味わえないような治安の悪さを世界の隅々から感じ取り、主人公を取り巻く裏路地の奥の奥のような世界が手によるように伝わって来ました。


そんなアングラ世界で共に生活している同じ底に居る男と、そして出会ってしまった上流階級の男。
どちらも魅力的でありながら、どちらも破滅的な男。
果たして主人公のミータオはどちらの男を選ぶのか?どちらの男に添う事で幸せになれるのか?
「――女神では救えぬ男」のキャッチフレーズに相応しく、どこまでも底に堕として来る男達とミータオの異国情緒に溢れた暗黒社会系物語でした。



『システム、演出』
NScripter製。
基本性能全部有り。
NScripterに久し振りに触れましたが、やっぱり使いやすいです。
文章速度の速さに惚れ惚れしながらサクサクと読み進める事が出来ました。
サキュレントさんはもう独自のカスタマイズがされ、そのUIが全作品共通で使われているのですが、読む際に必要などの機能も使いやすく、とても良い固定UIだと思います。


『音楽』
BGMは7曲、歌唱曲1曲。
全曲オリジナル。
どの曲も良いのですがやっぱり「夢の時間」と「ドブネズミ」辺りが異国感があって好きです。
特に「夢の時間」はストリップショーの時に流れるのですが、ミータオがトリップして踊っていて日常と切り離されたような感覚になる高揚感などが音楽からも伝わって来ました。
主題歌の「傷を抱く花」は作中ミータオが何度も口ずさむのですが、それが彼女の失った過去と、そしてリョウと出会ってからの今とちゃんと全てのミータオと結びついており、最後、選び取った未来の中で「傷を抱く花」を口ずさみEDになり、歌唱曲としてこの歌が流れるので、とても印象深い曲になっていました。
アカペラとしての「傷を抱く花」だけでなく歌唱曲としての「傷を抱く花」も全て声優の手塚さんが歌っていらっしゃるのも最高でした。
SEの使い方も良く、ミータオとウツブシが良いお店で食事をする時にBGMが無くただ周りの静かな会話とその中から少し感じ取れる静かな嘲笑がこの場所とウツブシの隣に居るミータオの場違い感をしっかりと表し嫌な感じがしつつも、ちゃんとミータオの居心地の悪さが表現されていました。
声は主人公、ミータオ役の手塚さんの可愛らしくも品と知性があるお声は流石の流石。
手塚さんは「翠の海」の沙羅、「Yin-Yang! X Change EX」の大河(女体化ver)、「蜥蜴の尻尾切り ~切れないしっぽ~」の荊などでお聴きしていて多分どの感想でも書いてますが、本当に!演技が!お上手で!大好きです!!
可愛い系から凛々しい系まで幅広く、確かな知性を感じるお声に聴き惚れます。
ハッキリと物を申す時の凛々しさやその際に言葉そのものから感じ取れる「正論と真理」のような物の発言力が凄まじいです。
ウツブシに言葉をぶつけた時の凄みと声から感じる"圧倒的正しさ"の演技力が流石でございました、本当に上手くて大好き。
今回オマケにて「歌も!!?」と驚かれていましたが、「ハジマリノトキ」や「気持ち Are You Real?」での歌唱力を存じていた為、「手塚さんなら歌唱があっても絶対大丈夫でございます」という安心感がありました。
そして、安心感以上の歌をご披露され、ますます好きになりました、今後も出演作本当に楽しみにしています!!
リョウ役の三橋さんは、山野さん作品だともう常連も常連ですね。
「さまにあ」の時からお聞きしていますが、繊細でどこか妙に傲慢で、でも臆病で寂しそうにしていて、それなのにコチラから触れようとすると「触れるな!」と手を払って来そうな、そんなクセの強い男を演じられるのがハチャメチャに上手いです。
メチャメチャイケボなのに「あ、この男、ダメだ、ダメンズだ…」と分かってしまう演技が本当に上手い、ベストダメンズイケボイスという感じ、いや、本当に演技力が本当に高いという意味です。
今作のリョウもまた癖があり、所々で弱った時の声に「これだよ、この感じ!!」と三橋さんの演技力の高さを見せつけられました。
オマケでの「リョウは自分に似てる」という部分にニヤニヤしたり「芙蓉は吸った事無い」発言に笑わせて頂きました。
ウツブシ役の九財さんはおそらくお聴きするのは初。
商業エロゲなどに出演されていらっしゃるみたいです。
初めてお聴きしたのですが、重厚で威厳のあるお声が「あ、お金持ち」と即分かる声質でお声からも上流階級を感じました。
結構中身はアレでアレでアレなウツブシですが、ご本人もオマケコメントでおっしゃってる通り「ダメな方向での一途さ」があり、そういう意味での真っ直ぐさを持った芯がある演技でした。
しかし…ご本人のお名前ですが"九財"というお名前もウツブシらしい"経済的強さ"を感じて、声質から何から色々とピッタリな方だなぁと。
コメントではとても良い人そうだったので「ダメな意味での一途さ」とは乖離しそうですが、色々と仕事が出来そうな所はウツブシと近そうな感じがしました。


『絵』
本編で絵は無く背景のみ。
背景は夜になった瞬間にチカチカとライトアップされる夜の顔と、昼間のミータオ達が日常を送っている物静かな朝の顔の街から感じる二面性が上手く表現された背景でした。
ミータオが踊る舞台も無駄な物が一切無い所が"アングラな舞台"で"踊り子を楽しむだけの場所"というのを感じ、その質素な感じがとてもミータオが選んだ舞台らしさがありました。
ただ、今回もまたイメージイラストが大変美しく可愛らしかったので、立ち絵や一枚絵を見たかった!という強い気持ちもありました。


『物語』
文章が良い、これは毎度の事なのですが、今回主人公のミータオが地頭が良いというか、凄い学を学んでいる訳では無いけれど言葉を沢山知っていて的確に表現出来、そしてそういう存在がこのアングラ世界では浮いている、というのが明確に描かれていて、作中で言われるミータオの"頭の良さ"がしっかりと表現されていたと思います。
特にミータオがウツブシに対して放つ言葉はもう…"負の的確な言語化"のオンパレード。
あまりにも「持たざる者が持っている者に対して常日頃思っている事」を的確に叩きつけて居たので「うわ、やめろ、それは本質だ、辛い、苦しい、でも凄い」とミータオが言葉を投げつける度に心を撃ち抜かれました。
「持たざる者の矜持」がある通り、その矜持を言葉の弾丸にして叩き付けていたと思います。


『好みのポイント』
今までサキュレントさんの作品は女性主人公に対して攻略男性キャラは一人と男女一対一の構図だったのですが、今作で初めて攻略キャラが二名でED分岐があったと思います(一作目の「慰愛」は男性二名居ましたが…あれは分岐が無かったですし、その…「BLに割り込む女」なので、完全に攻略対象二名では無いと思ってます)。
記憶を失ってから名付けてくれた男性のリョウと、記憶を失う前を知っているかのような男性のウツブシ。
二人共クセが強く、それぞれ別方向に「救えない男」感が出ていて。
ライターの山野さん、手塚さん、九財さん、それぞれのコメントで「リョウとウツブシ、どっち派ですか?」と聞かれるのですが、制作陣から聞かれるのも納得のキャラのクセの強さ、アクの強さを放っており、どちらのEDも何とも言えない結末を辿るので、「この物語はどっちに進めば幸せに見える?」とプレイした人達に聞きたくなるのが凄く分かる構造でした。
「個人個人の幸福思想チェッカー」というか「EDの性癖チェッカー」というか、思いっきり「個人の好みがモロに分かる」EDになっているのが分岐物として出来が良く、サキュレントになって初めてのキャラクターED分岐作でここまでプレイヤーの癖を二分化出来る作品を作れる所に流石としか言いようが無かったです。





以下ネタバレ含めての感想です





ッカーーー!!!山野さんの描かれるクズ男やダメ男は良いぞ!(良いぞ!!)
これは別の感想でも言っていると思いますが、自分はフィクションのクズ男やダメ男を描かれる個人的二大巨塔にクド◯ンさん(脚本家)と山野さんが居ます。
今作もまた山野さんの手腕で見事にクズ男&ダメ男が描かれてるのですが、なんと!ダブル攻略キャラになった事で駄目っぷりが二倍になっています!!
二倍!二倍!!嬉しいですね!!(そうか?)
何が上手かって、そういうクズな要素というかダメな要素を構築するバックボーンの描き方が本当に上手いんですよ、彼らの環境を見ると「そういう性格形成に成らざるを得ないよね、分かる」と納得してしまいます。


リョウは分かりやすく親からもう底辺で親のやらかしを子供が背負ってる状態で生まれました。
生まれた場所も生きる事は出来ましたが決して良い場所とは言えず、幼少期から教育を受けられず働く立場でどうにか親のやらかしを清算していた所があります。
そんな彼が自己肯定感などを持っている筈も無く。
リョウはミータオを見つけ、ミータオに名を付け家族のように、恋人のように暮らしミータオの拠り所をとなりますが、ミータオの無条件からの好意を受け取れる自己肯定感は持ち合わせて居ません。
ミータオがどんなにリョウを一番だと思っても、リョウの傍が良いと願っても、リョウはそれを信じる事は出来ず、常に卑屈さを撒き散らし「自分は相応しくない」とミータオの愛から目を逸らし続けます。
リョウのダメな所は「自己肯定感の低さからミータオを受け入れない所」。
これがある以上、ミータオがどんな選択をしてもリョウと正の意味での幸福を掴む事は出来ません。


ウツブシは上流階級…というよりも支配階級の父親の元で育ちました。
父がミータオの母を支配し陵辱し、ミータオをも陵辱し手元に置いていた事を知っています。
しかし、それを「間違った事」という教育はされず、むしろ「支配するのが当然の事」という教育を受けます。
リョウが教育を受けられなかった事などで卑屈になっている男だとしたら、ウツブシは間違った教育により歪んでいった男です。
父の言葉通り「そういう環境で生まれたミータオは恥なのでウツブシが娶る事」を約束させられており、父親の言葉を絶対として逃げ出したミータオを探し続けました。
ある程度の年齢に行けば父の言葉などは捨てても良いのに、それを捨てる選択は無く、どの年齢になっても「父親は絶対」として君臨している所に、彼もまたリョウとは違った親からの支配を感じます。
ミータオを見つけた後、別に閉じ込めて好き放題すれば良いし、そうすればミータオも多少は無視出来たものの、「娶る」という部分はしっかりと遂行し「伴侶」として扱っている所に彼の父親からの教育の歪みがある気がします。
でも、「伴侶」として扱いながらも父親のように「支配」も同時に遂行するので、ミータオはその扱いのアンバランスさに不安になって行っただろうなと。
「支配」なら「支配」だけで扱われた方がまだウツブシに対しての感情も「ムカつく男」だけで済みそうなので…そう思わせてはくれない所がニクい男だなと。
ただどんなにキャラとしては美味しいニクさがありつつも、ウツブシのクズな所は分かりやすく「「支配」を行って大好きなリョウからミータオを引き離しミータオを閉じ込める所」なので、そこがある以上ミータオの過去をも刺激しミータオは幸せになる事は出来ません。


そんなダメとクズの間に立ち美しく咲き続けるのがミータオ。
彼女は過去、どんなにウツブシの父から汚されようと精神を壊す事無く、記憶を失いアングラな世界に落とされようとも汚れ堕ちる事は無く。
どんな状況でも「リョウさえいれば」と力強く生きてきました。
ティーンズラブ系は「冴えない私の元に高スペックの男が~」というシチュが多い中、乙女ゲーは「精神よわよわの男の介護をしていく」という流れが多く、同じ女性向けてもかなりシチュが違うのですが、本作は乙女ゲーのシチュに漏れず、大きなジャンルで見ると最初からリョウの精神をヨシヨシしている非常に「男の精神介護系話」ですし、ウツブシが現れてから「高スペックの男が~」になりそうに見えてウツブシも精神面がかなりガタガタなのでやっぱり「精神面をヨシヨシする話」になっていて、ミータオは常に左右から精神崖っぷち男に囲まれ、「どっちを選んでも堕ちる」しかない状態になっていました。
リョウもウツブシも「どうすれば彼らの精神が這い上がる?」という正解が無いんですよね…
選んだら共に堕ちるしか無いのが丸見えという…まさに左右地雷原男状態。
どんなに過酷な状況でも凛と咲き続けたミータオでしたが、リョウが居たからこそ耐えられ咲き続けた身としてはリョウを失えば折れるしか無く。
今作はそんな汚い泥沼ですら美しく咲き続ける蓮…芙蓉、芙蓉のような女神、ミータオを二人の男が堕とす話だったなと。
だってミータオは確かにリョウに依存はしていましたが、リョウがもう少し自己肯定感を持ち向上する精神を持っていれば、そしてウツブシにさえ会わなければ、絶対に手放しで喜べるハッピーエンドに辿り着けたはずなんですよ。
ヒロインだけの精神ではどうしようも無かったというか…作中何度も「ミータオ一人で生きろ!!」と叫びそうになりましたが…それはリョウと出会ってからの過去がある以上、情がある以上不可能な事も分かるので、「リョウ、もっとシャキッとしろ!あとウツブシは来んな」と何度も心の中で願いましたが…まぁ願いは届かず。
結局ミータオはリョウEDでもウツブシEDでもその美しく咲いた身を、精神を散らす事になります。


リョウEDではクスリによって精神を壊しリョウと同じ天上世界へ、ウツブシEDではリョウの最期を知った事で精神が壊れ天上世界へ。
どちらも精神を壊しますが、リョウルートではミータオに自ら選ばせ、ウツブシルートではミータオから他の選択肢を奪い壊れる道しか残さない所に「女神を徹底的に堕とす」という性格の悪さを感じます。
「――女神では救えぬ男」とはこうも救えず、逆にここまで女神を堕として行くのか…と、流石、こういう男を描かせたら自分の中で右に出る人が居ないライターさんです、「どうしようもないこと(どうしようもない男)」を描く、その徹底っぷりに惚れ惚れ。


さて、クリア後のコメントで何度もお聞きされましたが、自分はどっちのEDが良いのでしょうか。
ミータオ目線で行くとリョウEDはメリバでウツブシEDはバッドな気もしますが…でもそれは本当にミータオ目線でミクロな世界だとも思っていて。
結局リョウもウツブシもどっちもどう進んでも精神的安定だけは絶対に得られない男性なので、そこを基準にしてマクロな視点で見ると、多少は経済的に安定は絶対にするウツブシEDの方が安定感はある気がします。
まぁただ、これは「生きる事」に関しては安定しそうですが、生まれた子供もミータオ親子と同じような道を辿ると思うと「幸せ」とは程遠い気もします。
ED的には「クスリを得た感覚は実は今まで舞台上でトリップしてきた感覚と同じだった」と気付き、リョウと共にトリップし天上世界へ行くリョウEDの方が個人的には美しさを感じました。
あと、幼馴染スキーで執着や共依存スキーでメリバスキーなので好みとしてはリョウEDが個人的に頭一つ抜けていました。


幼馴染や共依存が好きならリョウED、悪い男やその悪い男から抽出される謎の一途な部分が好きならウツブシEDが好きとかなり好みが分かれそうだなと思ったり。
元から持っている好みに左右されそうなEDですが、ミータオがどうすれば正の方の「幸福」を得られたかは割と分かっていて、「どの男にも構うな!ミータオ、一人で生きろ!!」に集約される所が男性キャラのアレっぷりを感じました。
でも、ミータオもまたどんなに美しく気高い女神でも人間なので、「一人」は無理なんですよね…
男キャラのアレっぷりとミータオの気高くも弱くもある二律背反な心情と…
その全てが「どんなに治安が悪い世界でも懸命に生きている人間」が描かれていてとても良い九龍城砦系物語でした。





過去のライター様作の事を語るので最後に別枠で。
今作のリョウはなんとなく山野さんの過去作の紗倉を思い出しました。
「生まれた場所から負け組で這い上がれずそこに留まり続ける」そういう生まれた境遇の悲惨さとそこで生きなければいけない諦めとかが何となく近いなと。
ただ、リョウと紗倉が違うのはリョウにはずっと傍にミータオが居て「支えてくれる人が常に居た」点かなと。
紗倉の人生から惇は一番辛い時に居なくなってしまうので、その点は全く違いました。
だからこそリョウと紗倉では「救われなさ」のベクトルが全く違うというか…
紗倉は物理的に一人だった事に対し、リョウは物理的には一人では無かったんですよね…
ミータオが常に一緒に居てくれてクスリが抜けきれるほどにずっとヨシヨシしてくれて居たのにそういうミータオの献身を見ずに「俺なんてミータオとは…」みたいな事を言ってるので、リョウの精神面での救われ無さ、救え無さが凄いです。
紗倉は「紗倉の境遇でどうやったら救えたんだよ…」に対してリョウは「リョウがリョウの精神である限り救えない」となっている所にプレイヤーからの「救いたくなるレベル」みたいなそういうのの違いを感じました。
同じ様に生まれた場所が良くなく底辺に近い境遇になっている人物でも、紗倉は「這い上がる手摺りすら無かった人物(その上後半で樹里様にド正論で殴られる)」でリョウは「手摺り(ミータオ)はあったのに無視した人物」だと個人的には思っています。
幼馴染、童貞非処女、卑屈、と個人的な癖での好みはリョウではありますが、ミータオを拒絶しつつミータオが本気で居なくなりそうになると自分の不幸っぷりをアピールしてミータオを引き止めるダメ部分に「コイツは確かに救えねぇな」という「――女神では救えぬ男」の業も強く背負っているので、好みではありつつも一プレイヤーとしてはミータオはリョウと縁を切った方が幸せにはなれるよなぁと思ってしまったり。
…そういう「あまりにも負の面が強過ぎて一緒に居る人間の精神も堕としてしまう」という意味では生まれた境遇の悪さと一緒で紗倉とリョウの負のメンタルは近いなとも感じました。
自分のメンタルが堕ちた時に正しい方法で持ち上がらせようと頑張ってくれる他人は大事にしないと、更に卑屈になって相手のメンタルを傷付け堕とすのは救われない行為だなと、本当に思いました。