ひっそりと群生

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【ぐらぐらする】感想

【男性主人公15禁】



2021年08月29日配信
染居 衣奈』様 ※リンク先公式HP
ぐらぐらする】(PC&ブラウザ)(15禁) ※リンク先ノベルゲームコレクション
以下感想です。








明日は我が身。



『大学を卒業し、希望した企業へ就職した新入社員の主人公。

 好きな仕事、親切な先輩達、おおらかな上司、のんびりした職場、そして念願の一人暮らし。
 すべてが順風満帆だった。
 ……雨の日以外は。

 ――雨の降る日は、何だかぐらぐらする。』
(公式より引用)



プレイ時間は約1時間くらい。
分岐有り、ED2つ、一周目ED固定。


隠さなきゃ』(※リンク先感想)を制作された染居衣奈さんの作品。


新社会人としての務め先、自分を買ってくれる人達、忙しくも自分に合った仕事内容。
けれど、どこか常に付き纏う空気の悪さがそこにあって。
感情がぐらぐらする、人間関係がぐらぐらする、立ち位置がぐらぐらする、生がぐらぐらする。
日常的な居心地の悪さ、職場での人間関係の危うさ、そして選び取る自分の立ち位置。
陽の光を浴びれる人間が居れば、その人の影に埋もれ消えるしか出来なかった人も居る、そんなお話。



『システム、演出』
ティラノ製。
基本性能有り。
間で挟まるノイズ的な演出や、雨の描写が作中のとあるキャラの心象と重なりとても効果的でした。


『音楽』
常に流れ続ける「あめふり」と居心地が悪くなった時の雑音のようなBGMの切り替えが非常に上手かったです。
「あめふり」が流れている時はどこかアホっぽく、けれど所々の台詞に不穏さがあったり。
不穏なBGMの時には胃が痛くなるような居心地の悪さがあって。
音楽の使い分けが印象的でした。
「あめふり」は製作者の染居さんが編曲をされているらしく、とても多彩な方だと思いました。


『絵』
人物画無し、背景のみ。
登場人物が若干多めなのとポピュラーな名字が多く戸惑いそうになりますが、「Notes」というTIPSのようなシステムがある為、人物の確認が出来る所が有り難かったのと、プレイしていくうちになんとなく人となりが見えてきてキャラクターの立ち位置が把握出来る所がまた描き方が上手かったと思います。
最終的に「結局誰が誰でも一緒」みたいな人物評になったので立ち絵が無い事やポピュラー名字である事、「誰が誰だか分からない事」というのはこの作品には合っていたような気もしています。


『物語』
明るい新社会生活…のように見えて時々見えてくる人間関係や仕事の出来、そこから派生する空気の悪さや居心地の悪さの描き方が凄まじく上手かったです。
文章はとある文を除いて会話文のみで構成されるのですが、会話だけで見た目だけの明るさやひょうきんに振る舞う様子、ピリッと見え隠れする悪意などの描写が匠で読んでいて胃がキリキリと痛みました。
悪気の無い悪意がハッキリと見える台詞などとてつもなく心が痛み、良い悪い、全ての意味をひっくるめて凄かったです。


『好みのポイント』
ニ周目のEDを見て「マジかよ…」と素で声が漏れました。
クレジット流れるのでコチラがトゥルーEDだとは思いますが…
前作でもそうですがその…凄かったです、とても人間が描れていました。
毎回妙なリアルさが癖になる作風で、そしてそこがとても自分に刺さり好きです。





以下ネタバレ含めての感想です





一周目は良かった、一周目までは良かったのですが…二周目ーーー!!!
こ、これが正規EDですか!!?クレジット流れるEDこれなんですか!!?そうなんですか!!!?
流石です、流石「隠さなきゃ」を制作された方の作品でした。
やられました。
前作の「隠さなきゃ」、去年の全年齢ノベルゲームでベスト3に入るくらいに好きな作品なのですが、「前作は良かったけど今作はどうだろう…」という気持ちを軽く払拭して下さいました。


無能な人が居る、社会は無能な人も生かさなきゃいけないから生きていけるようにはなってる。
でも、決して受け入れてくれてる訳では無い。
常に「あいつは邪魔だ」「居ないほうがマシ」という人の感情にさらされながらそういう人達は生きていて。
でも、否定しながらもだからと言って死に場所を提供してくれてる訳でも無く。
あぁ、なんて中途半端な善意と大きな悪意で満ちた世界だろう…と俯きました。


主人公の姉は無能な人を補佐しないといけない立場だった、だから必死で頑張ってきたけれど重圧はどんどん伸し掛かり、本来その人にかかっていた仕事がなんの説明もなく当然のように割り振られていくようになる。
そしてどんどんわけが分からなくなり勝手に押し付けられた仕事で「仕事が出来ない」側に押しやられそうになった時、無能な人はさっさと辞めてしまい、今度こそ本当に姉は「無能な側」「出来ない側」「責めても良い側」に立たされ死んでしまいます。
この時点で姉が「無能で補佐していた人」はある意味では立ち回りがとても上手な人で。
出来ない事に罪悪感を抱かず押し付けるだけ押し付けられて、最後には自分を支えてくれた人(姉)を気にする事もなく置いて自分から逃げる事が出来るという、それなりに頭の回った人だったというのがとても皮肉めいていて。
真面目で、逃げられない、そんな人が割を食って人生そのものから降りるという構図があまりにもリアル過ぎて吐きそうになりました。


作中、常に会話だけですが所々で全画面文章になり地の文が入る事があり。
ここ、途中までは主人公の事だと思ってたのですが姉の感情だったんですね…前半上手い具合に騙されました。
この会話文と地の文の書き分けが上手く、最後まで主人公であるハルトの心情が掴めない所が最後のハルトの選択を後押しする形になっていて「上手い!」と唸らされました。
そうですよね、途中でハルトの心情が分かれば彼が最後にどういう選択を取るか分かってしまいますからね…会話だけで彼の人間性には触れなかったのはとても大正解です。
姉がずっとハルトに対して訴えていた「困ってる人、辛そうな人を見捨てずに傘を差して欲しい」という願い。
一周目は特に姉の願いが肯定も否定もされずなぁなぁで終わるのでそうでもないのですが、二週目でボロクソに否定された時にはもう、胸糞の悪さと同時に邪悪な展開が大好きな自分はニヤニヤしてしまいました。
だって、二週目で「取りに戻る」「何を?」「単語入力画面」「傘」という流れが来たら「姉の願いが受け入れられるのかな?」と思うじゃないですか?ハッピーエンドかな?と思うじゃないですか?
でも、違うんですよ、そんな事は無く。
ハルトは会社で酷い扱いを受けている田中さんに寄り添う事も無く、自分の今の良い立ち位置を保守する道を選び、最後には姉の墓の前で姉に傘を返し「落ちるなら一人で落ちてろ」という結論を出し姉を完全否定します。
一番助けを求めていた姉の気持ちを完全に拒絶し、自分の居場所を守る姿、とても人間だなぁと。
とても、「生きた人間」だなぁとその清々しい醜さに邪悪な笑みが溢れました。


社会は「無能」を生かそうとする、でも否定する、そして否定しながらも死に場所はくれない。
自ら死を選んでもその死すらもまた生きてる人間の側で弄ぶ。
生きてる人間は生きてるから好き放題出来、生きてる側を「正しい側」だと思いたいから死んだ人間を嘲笑う。
死しても尚、静かに眠られてもくれない。
作中で何度も父と母から姉の話題が出たり、ハルトが姉の幻影に怯えたり。
その描写そのものが「姉の死を静かに終わったものにしてくれない、生きた人間の傲慢」のようにも見えてエグさがありましたし、ハルトは「傘を差して欲しい」という姉の願いすらも聞き入れないのでエグすぎて涙が出そうでした。
というか、本作は主人公は生きた人間のハルトに見えながらも、本当の主人公は願いを訴え続ける姉のコハルだったような気もします。
本作のタイトル画面変化は雨に濡れた女性と傘を差した少年と沢山の人達が居ますが、ED2クリア後には少年は女性を無視して笑いながら群がる人達の元へ走り、その人達もまた笑っているというとても邪悪な画面に変わります。
この女性はきっと姉のコハルで。
更には地の文があって、人間の善性があって…うん、やっぱり裏の主人公はコハルだったのだろうなと。


とは言ってもハルトの選択もまた「悪」では無いんですよね。
ハルトは姉の願いを聞き入れず、ただ、「生きるために効率の良い道を行っただけ」であり、「悪い事」は何もしていないという。
ハルトが行った事は「何もしなかった」ただそれだけ。
仕事がキツく、上手く回らず、これもまた今の現状と社会が悪かっただけ。
会社の皆も悪くは無い、ただ忙しくて余裕が無かっただけ。
とことん「誰も悪くないけれど空気が悪くなる社会」の描写が綿密で震えます。
他の会社員の描写も本当に上手く。
結構登場人物が多めなので全員は覚えていないのですが、この作品内で「覚えていない人」というのは「立ち回りが上手い人」なんですよね、この作品で名前を覚える=「何らかの立ち回りが悪い人」になってる構図もまたズルくて。
自分が印象に残ってるのは鈴木課長、加藤さん、中川さん、田中さんでした。
鈴木課長は特に何もしなかったのですが単純に課長職という事で覚えていました。
加藤さんは主人公が人当たりがよく有能な為、先に入っているのに居心地が悪くなり中川さんが話すと空気が悪くなる所が印象的で。
中川さんは仕事は出来るだろうけど、一言が余計で悪意が無いままに周りが気まずくなるような言葉を吐き出せる人…ぶっちゃけ個人的にはこういう人が職場に居る方が迷惑なのでこういう人が居なくなった方が社会が回るとは思ってます。
田中さんに一番キツくあたり周りから無自覚に田中さんを悪く浮かせていたのはこの人だと思ったので、立ち回りは上手いし仕事は出来るけど客観的に見て害悪なタイプ。
田中さんは人道という意味では良心、誰の悪口も言わず、仕事はきっと出来ないけどそれには事情があり家の事があったので上手く出来なかった人。
でも、同時に人生そのものからは逃げる事は無く職場を変えてでも生きれる人ではあるので仕事上の「無能」ではあっても「生きる事」はストロングタイプだと思うのと、おそらくコハルが尻ぬぐいをしていたタイプはこういうタイプの人だとも思っているので、人道という意味では良心だと思いつつ、仕事としての倫理で見ると「コハルのように死が選択肢に出るタイプの人にとっては相性が悪く傍迷惑な人」という印象でした。
立ち絵が無いのに会話だけで様々な人間性が見え隠れするのが凄かったです。


ラストは田中さんを助ける側に回らず一緒に彼の陰口を言う側に回り、姉の願いを拒絶し、新しい部署に回ることになったハルト。
姉を拒否した胸糞の悪さがありつつも同時に思うのは「社会は無能でも生きられるようになってる」「それは何故か」「何故ならいつ自分が無能側に回るか分からないから」なんですよね。
最後に「Notes」へハルトの本当の他人への印象が追加され、コハルに対し「同じようにならない」と書いてありますが…別に誰だってなりたくて無能側になるわけではなくて。
「なりたくなくてもなってしまう時にはいつの間にかなっていて、時と場合、場の空気で人の立ち位置なんて変わるもの」なので彼の「なりたくない」がどこまで通用するかを考えると…ちょっと恐ろしいものを感じます。
作中の部署では「有能側」にいられましたが果たして新しい部署に「自分以下」の存在が居るのか…
ラストの姉への胸糞の悪さと、そういう「どう転ぶか分からない未知の立ち位置」を考えるとハルトの行動が悪い意味での因果応報になるのではないかちょっとワクワクします。
というか作者様の創作での性格の悪さ(褒め言葉)を考えると因果応報になる気がしますし、ハルトのどことなく見え隠れする傲慢さを見ると「コイツ痛い目を見れば良いのに」と思ってしまうので、自分の生きた人間の邪悪さを噛み締めつつ、「主人公、新部署での新生活頑張って(笑)」という気持ちになりました。


前作の「隠さなきゃ」同様、人間のナチュラルな悪意と細かい感情の揺れを強く見せつけられた作品でした。
流石、前作に対し「ハピエンゲー」とおっしゃられていた作者様でございました。
今作もまた溢れ出る邪悪さに胃が痛くなりつつも変な笑いが飛び出るほどに楽しませて頂きました、有難うございます。